設立の趣旨

「日本結節性硬化症学会」設立にあたって

 理事長 樋野興夫 順天堂大学医学部 病理・腫瘍学教授

2011年3月11日の東日本大震災から1年半以上が過ぎた。「泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある」の厳し い 現実である。今は、まさに「泣く時、嘆く時」である。79年前の1933年3月3日にも、今回と同様に三陸で地震の大災害があったと記されている。その 時、新渡戸稲造(1862-1933年)は被災地宮古市等沿岸部を視察したとのことである。その惨状を目の当たりにした新渡戸稲造は「UNION IS POWER」(協調・協力こそが力なり)と当時の青年に語ったと言われている。まさに、今にも生きる言葉である。

人間は、自分では「希望のない状況」であると思ったとしても、「人生の方からは期待されている存在」であると実感する深い学びの時が与えられている。その 時、「その人らしいものが発動」してくるであろう。「希望」は、「明日が世界の終わりでも、私は今日りんごの木を植える」行為を起こすものであろう。人間 の身体と臓器、組織、細胞の役割分担とお互いの非連続性の中の連続性、そして、傷害時における全体的な「いたわり」の理解は、世界、国家、民族、人間の在 り方への深い洞察へと誘うのであろう。

その時に何が大切か。「暇げな風貌」と、「偉大なるお節介」ではなかろうか。忙しい人には心を開けない。人間というのはお節介をやいてもらいたい生物でも ある。でも「余計なお節介」は嫌である。要するに、「偉大なるお節介」とは、他人の必要に共感することであり、「余計なお節介」と、「偉大なるお節介」の 微妙な違いとその是非の考察がこれからの大きな課題となる。また、他の人々に注意を向けるには、「暇げな風貌」が必要ではなかろうか。現代に求められるの は、「暇げな風貌」と「偉大なるお節介」であると感ずる今日この頃である。「暇げな風貌」と「偉大なるお節介」は、悠々と謙虚を生むことでしょう。

「偉大なるお節介症候群」の診断基準は
(1)暇げな風貌
(2)偉大なるお節介
(3)速効性と英断
である。
『電子計算機時代だ、宇宙時代だといってみても、人間の身体のできと、その心情の動きとは、昔も今も変わってはいないのである。超近代的で合理的といわれ る人でも、病気になって自分の死を考えさせられる時になると、太古の人間にかえる。その医師に訴え、医師を見つめる目つきは、超近代的でも合理的でもなく なる。静かで、淋しく、哀れな、昔ながらの一個の人間にかえるのである。その時の救いは、頼りになる良医が側にいてくれることである』(吉田富三)。

1894年新渡戸稲造 (1862-1933) は札幌の地で (当時、札幌農学校教授)、「遠友夜学校」(1894-1944) を開設した。「新渡戸稲造校長」が生徒に教えた基本姿勢は、

(1)「生活環境や言葉が違っても心が通えば友達であり、心の通じ合う人と出会う
ことが人間の一番の楽しみである」
(2)学問より実行
(3)「何人にも悪意を抱かず、すべての人に慈愛を持って」(リンカーン)

である。
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その作法は「奥ゆかしさは最も無駄のない立居振舞いである」の言葉が甦る。

「病気・遺伝病は単なる個性である」という社会の構築と「医療の共同体」を目指して、ここに「日本結節性硬化症学会」が設立するものである。